尊敬という熱情、覚書
周りに伝えて何がどうなるわけでもなく、
けれど、自分の日記だけに密かに書くには、少し特別すぎること。
そんな出来事に、よく出会う。
今日もそんな時間を過ごした。
ここに書くのは、自分のこの感情の高鳴りを抑えるためでもあり、冷静になってもう一度感動をひしひしと味わう、たったそれだけのため。
私は今までの人生において、芸能に関することで出会った尊敬する方はいたけれど、〈個〉として生きる日常において、特別尊敬したいと心を動かすような方に直接出会ったことはなかった。(本の中などは含めない)
もちろん「すごいな」「素晴らしいな」と感じる方は沢山いらっしゃったけれど、それとはまた、別次元……心をガツンと動かされる尊敬を感じたのは今日が初めてだった。
その方は、私の通う大学である授業を担当されている女性の教授です。
普段は言葉少なで、実技(演習?)を重視される方で、教壇で話すのは長くて15分20分。そんな教授。
けれど今日は、ある時事ニュースに関することから派生して、教授が人生において価値観・常識を変えられた3つの経験から、教授自身の仕事に対する姿勢の話、教授が「いいと思う言葉」とは何か…そんな色々な話をノンストップで一時間以上、話されました。
正直、こんなにも人の話を聞いていてあっという間に感じたのは初めてだった。本当に凄かった。「凄かった」としか表現が出来ない自分が憎くなるほど、本当に凄かった。
ああ、脳天に稲妻が走るというのは、こういう経験のことを言うのか。
ひとり歩く帰り道、そう呆然と思いながら歩いていました。そしてただ純粋に、「ああ、教授みたいな人になりたい」その気持ちがストンと胸に落ちてきたんだ。そんな経験は初めてで、今でもあんまり上手く言葉にできない。
ただ、教材DVDや特別な条件などを無しに、授業を聞きながら鼻がつんとして涙が溢れそうになったのは人生で初めてだったのだ。
教授の話は全く感動系の内容ではなかったが、共感と圧倒が物凄かった。
私が常々思っていた事や疑問を、決して感情的にはならずあくまで知的に冷静に分析して話す姿はあまりに輝いて見え、またその問題について真摯に自身の仕事を通して向き合っていることに私は感動したのだろうと今分析して思う。私もそんな女性になれるのだろうか?レベルの感激ではなく「私もなりたい、なるのだ」と心を動かされた。
細かいことを書きたいという感情的な衝動と、それにはあまりに多くの情報を公開しなければいけないという理性の葛藤の末に、細かい情報は書かず、ここに今日のことを書き連ねた。自分の胸にだけしまうには、あまりに衝動が大きかった。
君にとって心動かされる時間が、私にとっては退屈な時間かもしれない。
私にとって心動かされる物語が、君にとっては退屈な物語かもしれない。
重なることが滅多にないからこそ、共有を何度も何度もして、重なる出来事に出会えた時の喜びはひとしおだと信じたい。だから今日もわたしにとって心動かされたことを、ただただ書いていくだけ。ここはそんな場所。
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